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今週のお題「〇〇からの卒業」
卒業したものといわれても特に思いつかなかったので高校の卒業式についてでも書こうと思います。といっても僕が卒業したのはもう二年も前の話なんですけどね…
卒業式の時点ではまだ国立大学の合格発表がされていなかったので、宙ぶらりんのまま卒業を迎えました。
高校生活を振り返った時に、「ああ、この高校に来てよかった」と思いました。田舎だったこともあり、中学までは気の合う友人ができず、家族に相談できない痛みや苦しみは一人で抱えるしかありませんでした。
高校に入ると自分と気の合う友人や自分よりはるかに大人びた友人がたくさんできました。やっと人生が始まった気がしました。
少人数学級の良さについて声高らかに語る人がいますが、幼稚園から中学校までクラスメイトが変わらない、一学年一クラスしかないような田舎で育った僕はそうは思いません。そんな田舎では人間関係の崩壊は人生の崩壊なのです。まるで狭い教室だけが自分の世界であるかのような錯覚に陥ってしまうのです。
高校に入って様々な人に会いました。運動ができる人、頭がいい人、運動も勉強もできる人、優しい人、大人びた人などなど… 生まれて初めてこの世界に生きている感覚を覚えました。地元が嫌いなわけではないけれど、必要以上に地元を神格化する人は嫌いです。中学時代にターゲットをころころ変えていじめをしていたくせに「中学は楽しかった。幼いころから一緒のおれらは~」とかノスタルジックな思い出に浸っている奴には天罰が下ればいいと思っています。なんちって!!
話を卒業式に戻しましょう。
そんなこんなで最初で最後の高校生活を満喫した僕は感極まって泣きそうになりました。でも泣くことはできませんでした。すぐ近くに座っていた副担任の先生が校歌も国歌もソプラノ歌手ばりの高音で見事に歌い上げていたからです。厳粛な式の最中ですが思わず友達と顔を見合わせて笑いました。まあ門出に涙は似合わないですからね。ほんで約十日後には京大に落ちて泣くことになるんですけど(笑)
浪人した挙句コロナで大学に通えない日々が続くと必要以上に高校時代を思い出してしまいます。本当に楽しかったあの三年間は。でも若いうちは過去にすがってはいけないのです。大学に通える日を夢見てワクワクしときましょう。イエーイ
高校三年 大学受験に落ちた話
どうもこんにちは!!!!!
暇なので自分語りでもしようと思います。題名にもある通り、僕は高校三年生の時に受けた第一志望の大学から見事(?)不合格を突きつけられ一年間のアディショナルタイムに入りました。その名も京都大学。うおおおおおお! もう名前が格好いい。
合格者の受験番号がずらっと並ぶ中自分の番号がなかった時の絶望感は、今でも思い出すと冷や汗が出そうです。まるで鈍器で後頭部を殴られたかのような衝撃でした。いやあ、月並みな表現ですけどね。
後期受けに行く
さて、京都大学に落ちた僕に悲しむ暇を与えてくれないのが後期試験の存在でした。国公立大学の試験日程には前期・中期・後期の三つがあります。京都大学の法学部では後期試験を実施していますが、センター試験の結果が芳しくなかった僕には出願することさえできませんでした。そんなわけで後期試験は広島大学に出願していたのでした。 京都大学の合格発表は三月十日、国公立大学後期試験は三月十二日に実施されます。
不合格の翌日、早速新幹線で広島へと向かいます。特定されない程度にぼかしますが実家が東の方なのでびっくりするくらい長旅でした。実は京大のことしか頭になく、後期の大学を適当に出願したはいいものの、広島大学のキャンパスの様子はおろか広島の場所さえ把握できていませんでした。何となく京都の隣くらいのつもりでいたらとんでもなかった…(広島県民のみなさんごめんなさい) というかそもそも広島大学は東広島市にありました。
新幹線の中ではひたすらLINE漫画を読んでた思い出があります。「三巻まで無料」みたいな漫画をひたすら読み漁っていたので無駄にたくさんの漫画のあらすじだけ知っていました。
東広島駅に到着してびっくりしました。すっげー田舎だ!! といってもディスるつもりがあるわけではありません。自分自身、田舎で生まれ育ったので何となく過ごしやすそうで好印象でした。ホテルにチェックインしたのは16時頃だった気がします。せっかく広島まで来たんだからお好み焼き(広島焼?)でも食べようかと思ったけど、急に京大に落ちた悲しみが戻ってきてホテルでコンビニ弁当を食べました。後期試験の科目は総合問題といって国語と英語がごちゃ混ぜになった感じの問題なので、とりあえず単語帳でも見るか~と思いテレビを見ながらぺらぺらめくっていました。でも集中できるはずもなく結局スマホを見て過ごしました。ここでもLINE漫画が大活躍。なんか弱虫ペダルをめっちゃ見てた覚えがあります。そのあとはYoutubeを見まくりました。何となく見ていた中に、英語を喋れる女の人が世界中を回るみたいなものがありました。実は僕は英語が得意で一番の得点源でした。だからこそ京大ではなくて東京外大を受けていたら受かっていたかもしれない、とか色んなことを考えてしまいました。そんなこんなで深夜二時くらいまでダラダラ過ごしてさすがに寝ました。
さあ後期試験本番です。睡眠時間は五時間くらいでしたが、すっきり目覚めました。レッドブルを飲み臨戦態勢です。大学までは東広島駅からシャトルバスに乗っていきました。ガラガラだったので座ることができました。
ここで事件
「単語帳でもやるか!」って鞄を開けたらホテルの部屋のエアコンのリモコンが出てきました。びっくりというか笑ってしまった。幸いバスは発車まで二十分とかだったので先にホテルに返しに行くことに決めました(慎重な男なので三十分前行動してた)。もちろんバスには間に合いましたがもう座ることはできず、ぎゅうぎゅう詰めになりながら会場に向かいました。
試験が行われる教室に入りました。さすがにみんな愁いを含んだ面構え。ああ僕だけじゃないんだ、と思いました。しかもみんな単語帳なんて見ずにスマホいじってた(笑)
試験自体は割と手ごたえを感じました。なんやかんやで京大入試が終わってからも広島大学後期試験の過去問を解いていたので意外とできたのでした。ほっと一息。
シャトルバスで東広島駅まで戻り、もみじ饅頭買って帰りました。広島旅行終了。
広島大学合格発表まで
さあ見出しを書いたものの、あの時何をしていたか全く覚えていません。多分色んな選択を後回しにして一日中スマホを触っていました。選択というのは進学先の話です。両親の方針は「できれば国公立。どうしても行きたいなら私立も可。浪人はダメ」でした。実際僕も浪人するつもりは一切なく、滑り止めを結構しっかり受けていました。明治大学と同志社大学から合格をいただき、同志社大学にキープのお金(約二十万)を振り込んでもらっていました。広島か同志社か。個人的に京都という地に憧れていたので同志社はとても魅力的でした。しかし京大が近いことから劣等感がぬぐい切れないだろうとも考えていました。一方の広島大学。国立ということもありネームバリューがあるし、国立に向けて勉強をした人たちのほうが空気が合う気がする(私立専願が不真面目とかそういうわけではないが、何となくチャラいのでは?みたいな考えがありました。)ただあの環境です。田舎育ちの僕にとって雰囲気がドンピシャだったとはいえ、大学では派手派手な生活がしたいという野望がありました。
そんなこんなでどうしようか悩んでいましたが、とりあえず広島大学の合格発表までは先延ばしでいいかという感じでゴロゴロしていました。
合格発表
ついに合格発表。さすがに少し緊張していました。まあ受かったら儲けものだなくらいに思っていたものの、国立大学から合格をもらえるのは本当にうれしいのです。
優雅に朝シャンを終えると半裸で合格発表を迎えました。
「え、受かってる!!!」
自分でもこんなに喜べるんだ、と思いました。やはり合格はうれしいです。ただ、僕の胸につっかえていたのはやっぱり京都大学の存在でした。
広島大学の受験を終え、帰りの新幹線が京都駅に停まった時、泣きました。ああ、自分はこことは無縁なのかと思いました。「置かれた場所で咲きなさい」 よく聞く言葉です。「僕が置かれたのは京大ではないんだ」と言い聞かせても納得できませんでした。煮え切らない気持ちのまま担任にヘルプを求めました。
「学校の方針としては浪人して京大を目指すことを勧めますが、個人的には君はどこに行っても成功すると思います」
こんな言葉が返ってきました。嬉しかったです。
でも相変わらずウジウジ悩んでいました。
そんな時に駿台予備校のはがきが届きました。高卒クラスの入塾案内でした。はがきによると、文系全コースに無試験で入塾できるとのことでした。駿台や河合塾などの予備校には○○大コースというものがあり、その大学に特化した授業をしてくれるのです。京大コースに入りたい、そう思いました。
交渉
さて、ここであれほど嫌がっていた浪人という選択肢が生まれました。しかし両親は浪人に反対していたため、まずは説得する必要がありました(厳密には母を説き伏せればよいわけですが…)。実は僕の両親は最終学歴が高卒なのです。だから大学受験のことは僕に一任されていました。父は学歴に全く興味がなく、僕の進路に関しては「自分がやりたいようにやっていい。でも後悔しない選択をしなさい」と言ってくれていました。だから浪人に反対はしていたものの、したいならすればいいというスタンスでした。
母は反対するだろうと思いながら「浪人したい」と告げました。母からの返答は「そう言うかなって思った」でした。「あんなに頑張ってたんだからもう一回チャレンジしたいよね?」
僕ば泣きました。かくして一年間のアディショナルタイムが幕を開けたのでした。
最後に
こんな感じで僕の浪人生活は始まったわけですが、浪人編はまたの機会に書きたいと思います。ネタバレすると、浪人して無事に京都大学に合格しました。いえーい
まあ、もう一年前の話なんですけどね。でもコロナの影響で一回も大学で授業を受けていません。もう泣きたいよね ぴえん。
春から二回生だけど、そもそも入学した実感がないのはどうしたことか。友達も全然できなかったし。高校のとき二年間同じクラスだった仲いいやつが現役で受かっていたのでそいつとつるんで何とか乗り切りました。あとは予備校で仲良くなり、一緒に京大受かった友達も数人います。彼らのおかげで何とか生き延びることができましたが、ひどい一年でしたね(笑) ここらへんの友達少ない一年の話もまたの機会に書こうと思います。なにせ時間だけはありますからね。